一途

人生堕落の一途を辿る

ゆきづまる

 

よく聞くあの曲

「午前2時」がどんな世界なのか知らなかった私は

今の人生をどう思うかな

 

と、ふと思ってしまった。り、する。

 

 

職業柄深夜帯まで仕事をして帰宅したときには世間は朝になっている、ということがざらにあるのだけれど、そういう生活をしていると私はなんとなく、世間一般的にきちんと仕事をしている人とは違うのかなと不安になったりする時がある。これはを私のごくごく個人的でつまらない考え方だけれど。

 

 

家に帰れば好きなひとと大切なペットがいて、きちんと仕事をして稼ぎ、休みの日には少しいい食事をする、20代半ばにしてはある程度贅沢な生活?充分な生活?をしているように思う。

普通の生活とは一体なんなんだろう。

 

 

 

 

 

おとといピンク色に染めた髪の毛はもうすぐにただの茶色になってしまうだろう。

 

私自身が健康で、愛する人たちが健康でいる以外に望むことはなんだろう。

朝日の登った晴れやかな道をヘトヘトで自転車を漕ぐことにも慣れてきたと思っていたのに。

男にはなくて女にはあるものがあったり、私になくて彼にあったりするものがある。

小さくなって眠るウサギは今日も愛おしいし、背中を温める日光も優しいのに。

 

 

自分が何者にもなれないんだと気付いたのはいつだったんだろう。

たいそれたものになりたかったわけではないのに、それ に気がついた時に深く絶望したのはどうしてなんだろう。

 

すごく眠たい時に聞くお気に入りの音楽はいつもより少しBPMが早く聞こえる。

疲れ切った体と疲れ切った心とその全てを持て余す、仕事終わりの脳みそと、

どうして人間はくだらないことばかり考えてしまうんだろう。

 

 

 

優しさを持っていたらなんだって許せるはず

そんなことがあってたまるかと思う、

誰にでも優しくなりたいはずなのに。

 

 

 

 

 

ねぇこんなに好きなのに

今君はきっと私のことを少し嫌いだよね

 

 

 

涙が止まらなくて眠れない夜を過ごしたことがあるんだろうか。

私は絶望的に、毎月確実にそんな日がやってくるのに、

 

 

私とは別次元で生きているものを見るとすごく安心する、だから動物を飼っていたいんだと思う、

 

不純。なのかなぁ。

 

 

今が確かに幸せで、生きてきた中で一番穏やかな生活を送っているのに、

自分の人生がこれで良かったのかと考えてしまうのは何故なんだろう。

 

 

 

 

一週間、働いて、疲れ切って、それで

 

 

 

 

 

 

 

朝日はいつでも私の味方で、夜の闇は私のゆりかごだった。

今や夕闇は提灯の明かりでオレンジに燃え、朝日は就寝の合図だ。

生活はガラッと変わった、否、変わったのは私なのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。

 

 

 

 

久しぶりに聞くバンプほど沁みるものはないよね、私の青春、

 

 

 

懐かしいものを見かけた

 

最初にして最後の記事が4年前だなんてちょっと笑える。

 

そういえばわたし、ブログを持っていたなと思い引っ張り出した、それこそ1年前の記憶くらいな感覚で読んだらちっともそんな程度の期間じゃあ無くて、やっぱりわたしの大学生時代というものは残酷で曖昧だったんだろう。

 断片的にしか記憶がなく、それも嫌だったことばかりがぽんぽん顔を出す。


仲良くなった人にたまに聞きたくなることがある。「高校時代の記憶ある?」

思い出話がしたいわけじゃない。高校時代の一番の思い出は?なんて優しい話じゃなくて、高校時代、夢と信念を持ちちゃんと楽しく学生生活を送っていたら大体の場合は「あれ、わたし高校時代の記憶なくね?」とはならないと思う。あくまでわたし個人の感覚で話すけれど。だから、「記憶ある?」わたしは、実は、びっくりするくらい本気で、マジでガチで、結構無い。

 

 狭い世界に閉じ込められて、昨日まで友人だった人が次の日には全く違う何かに成り果てたり、自分も相手も救いきれないくらい幼稚で残酷だったり、いろんな方向から来る圧力に潰されそうになってトイレで吐きそうになっていたこともあった。新しく建てられた校舎の、思い出も何もないピカピカのトイレだ。その記憶はまぁ、ある。

中高一貫の女子校に通っていたわたしは、例のごとくカテゴリ分けされた女の子たちの複雑なヒエラルキーの中で生活していた。わたしは可愛くなかったし、太っていたし(過去形にするのもおこがましいけど)、『女の子らしい』きらきらしたものが好きな子でもなかったし、勉強もできなければ性格もきつかった。(今思うと100点満点中マイナス4000点くらいの子供だった)そんなわたしは自分がその世界のヒエラルキーのどこらへんに位置しているのかちっとも理解できていなかったし、同時にとんでもなく底辺にいるとも思っていたし、そんなものとは関係なく生きていくとも思っていた。この中で一番致命的なのは、「自分がヒエラルキーのどこにいるのかを理解できていなかった」ことだと思う。要は自己分析がゴミ。自分も見えなけりゃ周りも見えていなかった。自分が人から見てどういう人間なのかという部分に無頓着で、よせばいいものを近づいて痛い目にあって、それがトラウマになったりして、最終的には自分が他人にどう思われるかを気にしていないと生きられなくなった。

それはそうと当時は、そもそもそんなこと考えながら学生生活送りたくないだろ!と思っていたこともあって、わたしは割とそういう見えない上下関係みたいなものには無頓着だった。誰とでも仲良くできるとなぜか思っていたし、ここのグループの子、みたいなのは無かったと自覚している。自己分析がゴミだから実際がどうだったのかはわからないし、そもそも感覚的なことは覚えていても誰と仲良くしていたか、友達の名前がどんなだったか、知らない。記憶がないから。ただ今思い返してわかるのは、わたしは人付き合いが本当に心の底から苦手で、なのに友に対する執着心が強く、自分の友達が他の友達と話しているとどうしていいのかわからなくなって、急にそっけない態度を取ったりもしていた。相手からしたら理解不能だろう。そうして話さなくなって、名前まで思い出せなくなった人もいる。記憶はどんどんどんどん無くなって、だから誰とどう話せばいいのか、どうしているのが「あなたにとっての普通のわたし」なのかが全然わからなくなった。どん底にいるときも元気なときも、おんなじように友達と話せる人間にはちっともなれなかったし、集団生活をどんどん嫌いになった。

廊下ですれ違った顔見知りにどう挨拶していいのかわからなかったし、朝っぱらからみんなとワイワイ話すのは苦手だったし、一人で静かに帰りたい放課後もあった。最終的にそれが不登校(気味)のわたしを生み出すんだけれど、母親に「理由が言えないなら学校を休ませることはできない」と言われ、何も言えず、玄関の前で1時間泣いていても何も変わらなかったから、起きた時間に学校には向かっていた。真面目だったから、サボってカラオケに行くとかはしたことがない。いっそそんくらいしておけよ、と今は思うけど。

 

けれど、逆に、「見える上下関係」には異様に敏感で、中学1年生の頃から、目上の人からのつっけんどんな大人気ない態度にじわじわと心をやられていっていた。むしろそういう経験が早すぎて?それによって人格が構築されてしまったというか、人格形成の時期にそういう扱いを受けていたから、それが普通になってしまったというか。

わたしの学校は中高一貫で、大体の部活動は中学生と高校生が一緒にやっていたと思う。受験勉強に専念する高3生以外の先輩、つまり4つ上までの先輩たちと一緒に活動していくことになる。

 

部活に入った途端、挨拶をしろと「指導」された。

目上の人が通りかかったら席を立って聞こえる声で「おはようございます」と言わなきゃいけないらしい。指導されたから言った。中3の先輩とかには大体無視されてたあたりで、わたしの記憶の更新は止まっている。それ以来先輩は「恐怖の対象」以外の何物でもなかったし、腹が立ったり、逆に尊敬して好きだったりそういうのは生まれたけど、根本的に「言うことを聞かないと嫌な思いをする(稀に言うことを聞いてもダメな時がある)」相手として認識していた。頑張って仲良くしようとしていたこともあったけど、妙にビビってるわたしよりも、普通に明るいいい子の同期たちがどんどん仲良くなっていくのを見て諦めていたと思う。もういいや。なんでもいいや。いいから部活しよ。みたいな。

 

なんとなくの記憶はある。先輩の顔と名前は大体覚えているし。でもその人たちとわたしがどんな関係性だったかはもう何も覚えていない。だから今会ったとしても、また「あなたにとっての普通のわたし」を見失って、いろいろ頑張って、めちゃくちゃ疲れて嫌になると思う。これは完全にわたしが考え過ぎなだけで周りの人はちっとも悪くないんだけど。

 

奇しくもそういうざっくりとした上下関係を大学に入った瞬間に再び経験することになった。「うわ〜これ大体部活で聞いた!」と、小さな教室でコースの説明会のようなものをされているときに、本当に思ったのを覚えている。「またか」って感じだった。もう頑張りたくなかったわたしは、多分そんなに頑張っていなかったんだけど、中学高校と鍛えられてしまった従属の精神のおかげで、周りから見たらそれはもうコースの奴隷のように乱暴な真面目さを持っていたんだと思う。嫌な思いをさせたり、衝突した友達に、許してほしいと言うのはなんだか違う気がするけど、でもなんかそういう理由でわたしは、高校卒業時点でもうボロボロ満身創痍なのにもう一回スタートだドン!を食らって死んだのだ。だから楽しそうな部活動に逃げようと思って、でもそっちも全然逃げ場じゃなくて、涙と仏頂面と怒声だけで自分を守ってとにかく全部終わったら幸せになれるって思ってた。そろそろ気づいていると思うけど、わたしは割と素直で馬鹿なのだ。素直な馬鹿。救いようがない。

 

 

 

そんなこんなで、わたしは大学の入学式の時点で高校の記憶を8割がた失い、大学4年になった時点で、大学1、2年の記憶を7割くらい失っていた。

覚えているのは、多忙は人を殺すということ。まず体力が尽き始めて、そっから感情が殺されて、次に思考力がなくなる。こうなるともう死にながら、やれって言われたからやらなきゃって人形が出来上がる。

2年生の頃に、一回だけ大学の教授に「わたしはやれません。わたしじゃないほうがいいです」と本当に素直にそう言ったことがあったけど、あえなく無視されてから、割と大体全部諦めた。大学時代の無賃労働(しかも乗り気じゃないやつ)をお金に換算したらいくらになるのか知りたい。あんまり知りたくないけど。

 

 

静かなところが好きだし、本当は可愛いものとか、キラキラしたものも好き。廃墟巡りとかしてみたいし、おしゃれで落ち着く喫茶店とかに行きたい。一人で本を読むのも好きだし、急に公園で小さい子みたいにはしゃぎ回るのも好き。動物が大好きで、本当のこというと植物はもっと好き。ゲームもアニメも好きだし、体を動かすのも大好き。音楽とか芝居が本気で好きで、なんでもやれるようになりたかった。

 

でも「学校」にいるわたしに、そういうものは何にも必要じゃなくて、必要とされてなくて、何が好きでも何が嫌でもいいから、そういうのは関係ないから、

 

 

 

 

 

この1年、「可愛くなった」とか、「今のあなたが一番自由で楽しそう」と言われることが 多かった。

その理由は、自分ではめちゃくちゃ理解しているつもりだ。大学3年生の頃から、わたしという人間はやっと「正しい成長」を始めていたし、そうしてくれる仲間がどんどん増えていた。この1年わたしはとても自由だったし、自分の生活を自分のものとして過ごせていたように思う。

 

 

 卒業する、となって、そうなった時に、自分がこの「学校」に全くなんの執着もないことを自覚してしまって、やっぱりそうか、と思ったのだ。

卒業式に行きたいなんて1ミリも考えなかったし、感謝を伝えるべき相手はいるけれど感謝を伝えたい相手は大体もう社会人になってわたしの知らないところで働いているし、

 

やっと行かなくてよくなるんだ、学校!

 

中学校から始まった、「自分で選んだ道」のフリをした学校という環境からの束縛が、どれだけ自分の負担になっていたのかをやっと自覚する。本当は全部大っ嫌いだった。何にもしたくなかった。大学なんて行きたくなかった。自分の心も体も、金ももらえず他人に消費するものでいいはずがなかった。だけど確かに、そこで出会った人も、そこでの経験も、全部わたしにとって大切で重要で大好きなものになった。でも学校とか授業とか、先輩後輩って束縛がなかったらどれだけ良かっただろうと思う気持ちもあるのだ。「学校」で出会っているすべてに対してだから、矛盾しているのかもしれないけれど、そこは素直な馬鹿だから、大目に見て欲しい。

 

 

 

本当に大っ嫌いだった。高校に向かう朝の自転車も、まるでいい場所に向かっているかのような眩しい朝日も、お昼休みも、ロッカールームも、聞く気のない学生が多い授業も、話を聞いてくれない大人も、始発を待つ冬の駅のホームも、飲み会の沈黙も、わたしが何も成せない娘だと諦められない両親も、無理やりやらされるギャグも、苦しいばっかりだった仕事も、どうしてわたしばっかり、って思ってた自分も、全部大っ嫌いだった。

だけどちゃんとそこに大事で大好きな思い出があるのが本当にすごい。

もう30代で死ぬって言わないようにするねって早く親友に言わなきゃ。いい歳して未来が明るいような気がしている。気分だけだけど、問題は山積みだけど、気を抜いてはいけない年だけど。

 

 

 

 

 

 

 

これを書いてから、次にこのブログを開く時には、わたしの時間感覚と記憶が、もう少し穏やかに、なだらかになっていることを期待する。

 

 

 

 

 

終わり

桜新町をぶらり歩いて、文房具屋さんに出会った話



私用で桜新町をぶらぶらした。時間があるわけではなかったから、目的地に向かう前のちょっとの時間。



穏やかでいて古めかしいのに、どこか洗練された雰囲気のある素敵な街並み。

お金持ちが住んでいそうな感じする。


サザエさん通りを進んで行き当たる交番の左側、豚肉専門の料理屋さんがあって、豚肉好きなわたしはうっかり行きたくなってしまった。時間があるとき、またね。


ちっとも写真を撮れなかったから、今度は撮ってこようと思う。




さて、わたしはもとから、文房具、と言うものがすきなのです。


紙であったり、ペンであったり

定規やクリアファイル、はさみの素朴なデザインとかも。


中学生の頃はよく、お小遣いをもらうとちかくの商店街の文房具屋さんに行って、長いときには何時間もそこで、ならべられたペンの頭とか、売られている紙の肌触りなんかをたしかめて、結局、これ、と決めたひとつだけを握りしめて家に帰ったりしていた。


そんなわけで、桜新町、入り口からして素敵な文房具屋さんがあったら、入ってしまうよなぁ。



http://www.sakurashinmachi.net/asp/shop_dtl.asp?sk=94



名前はオリタさん。

地元の学生さんや、おじいちゃんおばあちゃんが入れ替わり立ち替わり、お店のいたるところにぎゅっとつめこまれた商品を眺めにきていた。



こんな素敵な文房具屋さんがちかくにあったら絶対通ってしまうなぁ、なんておもいつつ、とりあえず店内を一周。

小学生の必需品から、製図の道具なんかまで。



そのなかでどうしても惹かれた棚、

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「日記」ですって。

おしゃれでかわいい、

いま、こんなにいろんな種類の日記が売ってるのね。

1年から5年日記や、おやすみ日記、しあわせ日記なんかも。

穏やかに続けられそうで、長持ちしそうな、やさしい紙のものばかり。


いや、これは欲しくなっちゃうよ〜



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というわけで、

赤い表紙がすてきな「一年日記」を購入。

つい最近20歳になったから、せっかくなのではたちの一年を記録してみることにする。



なんだか、たくさんのしあわせが書き込めたらいいなあ。





素敵な文房具屋さんはどうしても立ち止まって入ってしまうし、お気に入りをひとつ握りしめて帰りたくなってしまうのでした。